おはようございます。ますです。
「ちょっと今から仕事やめてくる」
いきなりそんなこと言われたら驚きますよね。
ご存知の通りベストセラー小説で、福士蒼汰主演の映画のタイトルです。
「おいおいちょっと待て。ちょっとなんてノリで仕事やめれるのか」ってなりますよね。「ちょっと」という軽さと「仕事やめてくる」という人生の中でも大きな節目とのギャップ。まさに気になるタイトルです。その映画のレビューってやつ、それをやってみたいです。でも、今からDVD観るのでまた、後日。
「桐島、部活やめるってよ」
「部活」って響きだけでもう青春モノのまばゆさ、ビシバシ感じちゃいます。「やめるってよ」そんな話聞いたら、「なんでだよ!やめるなよ!」と気になって観ちゃいますよね。観てないんですけどね。こちらはレンタル中だったので、前述のDVD返却した後借りることにします。
観ていないけれども両者に言えるのは、タイトルのつけ方がやはり秀逸。
これがもしも
「さっき仕事やめました」だったら。
あ、え?そ、そうなんだ、、、。
「桐島、部活やめたってよ」
え〜、なんでやめたんだよ〜。
弱い。インパクトに欠けます。
過去形にしちゃったら、理由を聞く以外にないじゃないですか。お前がそう決めたならしょうがないって、納得して終わり。
やめるのか、やめないのか?なぜやめたいのか?気になるから観たくなるのです。
でもね、やめました。って過去形で言われて気になってるものがあるんです。
カレーしかメニューのないお店です。カウンターのみ。辛さも選べない。あるのは普通盛りか大盛りかの選択肢のみ。そのお店の壁にひっそりと貼ってあるのです。
逆に、『ねぎま』やってたの?
やめたことをアピールする必要性は、あるの?
そんなに問い合わせが多いの?名物のねぎまだったの?
常連さんならば「ねぎま食べたいな」「いやぁ、やめたんだよね」その一度の会話で済みそうです。
それとも1年ぶりとかのお客さんが多いのでしょうか?トランク担いて『フーテンの常連さん』のような。しかし1年の代物ではない年季の入った張り紙ですが。
お客さんにしてみたら1度聞くだけだけど、お店の方にしてみたら何人ものお客さんに同じことを言わなければならないから?
「冷やし中華はじめました」はあるけれど、「冷やし中華やめました」というのぼりは見たことがない。やめてしまったことを大々的に広める必要はないからだ。
待て待て、もう一度整理しよう。カレーオンリーのカレー屋さんですよ。ねぎまとの関連性は?
そんなこと言って実はやめてません、ありますよなどという戦略なのでは?
もう、ねぎまが気になって気になって仕方ありません。
「ちょっと ねぎま やめにする」
より
「〇〇(店名)、ねぎま やめたってよ」
より
控えめな
「ねぎま やめました」
の文字。
その控えめな佇まいに、やめた理由を聞いてはいけないような、謎を残したままの方がいいような気がして店を後にしました。
でもやはりやめたことが気になって、やめた理由を探るため、やめる系DVDを借りてしまったというわけです。