喫茶cerezo(セレッソ)

春は出会いと別れの季節。

そのせいなのか、春になると心が落ち着かなくなる出来事がいくつもある。

塾講師という仕事柄、この時期の出会いと別れも多いのだが、20年近くこの仕事をしていると生徒との別れは、寂しさもあるが、またいつか会えるさ思えるようになった。

 

職場の近くにある喫茶cerezo(セレッソ)。喫茶と名がついているのでコーヒーを飲みに立ち寄ったのが始まりだが、入ってみると喫茶店というよりはバーに近い雰囲気だ。

時々仕事前に立ち寄りコーヒーで一息ついたり、仕事帰りに一杯立ち寄ったりする店となった。

レトロな店内にぴったりなダンディーなロマンスグレーのマスターがいて、俺はマスターとの会話が好きだ。

 

人生経験豊富なマスターについつい俺は本音を話してしまう。

昔自分を好きだと言ってくれた女の子。大学を卒業して地元に帰った彼女は今何をしてるんだろう。とか。

 

「今はSNSとかで繋がったりもできるし、そういうのを使って連絡とってみたらどうですか?」

レトロな雰囲気に似合わず具体的なアドバイスをしてくれた。

「今更」と渋った俺に対し、ワイングラスに少しワインを注いで差し出した。

「時間が経たないと出ない味わいもありますよ」

傍目からみるとテレビドラマでありがちなバーでのワンシーンみたいだが、俺は塾講師なので、生徒の質問に対し答えを解説することが日常。しかしここでは俺が生徒になってマスターの答えに耳を傾ける。それが新鮮なのだ。

 

先に話した地元に帰った彼女なのだが、春になると思い出す。別れたのが春だからなのだが、それならば春に再開してみたいという気持ちが桜の季節とともにやってくるのだ。

 

だが、この時期は仕事も忙しい。無事合格してくれた生徒達とは晴れやかに別れたとしても、晴れやかではない生徒たちも受け入れ、これから気持ち新たに受験指導していくのだ。そのうちに、彼女と会おうという気持ちもどこかに追いやられていく。結局毎年こんな想いを繰り返しながらも日常に紛れ時は過ぎていってしまうのか。

 

 

仕事も忙しい日が続き疲れがたまっていたのだろう。

ひどく長く眠った気がした。起きても気分は重苦しい。ただただ気分が悪い。理由はわからない。考えたくもない。今何時かとか、今日が何曜日かとかどうでもいい。

 

飲みたい気分でもないが、突如1人で居たくない気分に襲われた。

落ち着かず、足早にcerezoへ向かう。

ドアの前で呼吸を整えドアを開けた。

 

チリリンン。ドアを開けて鳴った鐘の音に反射的に「いらっしゃいませ」とマスターは言った。なぜかマスターは俺と目を合わせなかった。

 

今日はお互い何も話をしない。

雨宿りで立ち寄った客だろうか、他の客の相手をするマスター。

俺もまた、何か話したい気分でもないので調度いい。

 

どのくらい時間は経っただろう。周りの客は一人帰り、二人帰り。

ついに俺だけになった。

でも今日は俺もマスターも互いに会話をしようとしなかった。

まるで「答えはわかってるはずでしょう」と言わんばかりに。

その沈黙は俺の焦りや胸苦しさを徐々に沈めてくれた。

 

 

どうも今日はもう店じまいのようだ。マスターは洗い物を終え、テーブルを拭き、いつまでも続いてるようなジャズも止めた。

マスターはふと俺の方を向いたが、一呼吸おいてシャツの1番上のボタンを外しジャケットを羽織りドアを開け店内の電気を消した。

 

 

 

ああ、やっぱり。

 

そういうことだろう。

 

俺はきっと受け入れるためにここにきたのだろう。

いつもどおり何か答えを提案してくれる気がして。

 

 

今日、互いに会話しなかったのは、私の発した声は届かず、マスターには私が見えていなかったのだろう。

 

 

帰り道、足元の桜は雨で淡く滲んでいた。

顔を上げると雨は止み、散りかけの桜の木の枝先に星がかすかに輝いていた。 

 

今週のお題「お花見」