絶対直されるであろう感謝状

今週のお題「表彰状」とのことで

 

「表彰状」ではないが「感謝状」を贈りたい人がいる。

 

字を書くのが下手なのだが、実は昔、習字を習っていた。

当時クラスのみんなが何かしら習い事をしていた。

父は転勤族だったので、2〜3年ごとに引っ越しをしていた。そうなると習い事の選択肢は少なかった。大抵どんな引っ越し先の地にも書道教室とピアノ教室はあった。

 

友達の家に遊びに行くとピアノがあり、憧れた。だからピアノを習いたいなと思ったが、引っ越しの都度重く大きなピアノを持ち運ぶのは子供ながらに親に負担をかけるだろうと諦めた。

 

別の友達が習字を習っていたので、友達について書道教室に体験に行ってみた。その時褒められたので通う事にした。遊びの延長だった。

習っていた効果もあり、小学校の書き初めなどで賞を取ることもあったが、心躍るほどの喜びではなかったし、もっと頑張ろうという気もさほど起きなかった。

学年が上がるにつれて、通うのすら面倒になってきていた。休みたいなと思いながらも、親に習わせてもらっているのだからという気持ちで、ただただ毎週通っていた。

 

そもそも字を書くことよりも絵を描くことが好きで、暇さえあれば絵を描いていた。中学校に入って美術部に入部した。中学2年の頃、美術部の方に専念したいのと、受験に向けてという理由で習字をやめることにした。

 

何度も転校をして書道の先生に出会い教えてもらったが、最後に通っていた教室の先生は高齢で厳しく寡黙な先生だった。

 

やめる時先生に、「今まで(転校しても)続けていたのに、もったいないから続けなさい」

そう言われると思っていたが違った。

 

「僕もね、絵を描くのが好きだったんだ。文字を書くことと絵を描くことは共通しているからね、きっとまた字を書くことを学びたくなる日が来るよ。その時またやればいい。」

 意外な言葉だった。

 

中学を卒業し、高校でも美術部に入り、美術系の短大へと進んだ。

短大の最初の頃に文字のレタリングなどを学び、文字の形やバランスなどを学んだ。

卒業後すぐに絵を描く仕事にはつけなかったものの、20代の半ばに転職し、看板屋でデザインの仕事に就くことができた。

初めはパソコン上で作った文字をベテランの看板職人さんが見て「並びのバランスが悪い」と、指摘されることも多かった。

看板のデザインをしていて店名のロゴを作ることを依頼されることもあれば、筆字のようなオリジナルの文字を依頼されることもあった。

まさに絵と文字は表裏一体。もっと子供の頃に真面目に習字を習っておくのだった…と痛感した。かと言って再度学ぶまでには至っていないのだが。

 

習字をやめてから数年後に他界してしまった先生だが、あの時「もっと絵を描きたい」という気持ちを後押ししてくれ、「また習字をやりたくなったらやればいい」と、広い心で未来の私を受け入れてくれた先生に感謝状を贈りたい。

 私が書いたなら、朱書きで直されるだろうけれど。