薪割り翌日、後編を書いてます。ますです。
思った通り筋肉痛でヒィヒィ言ってます。
では続き行ってみよ〜。
割った薪を運び、積む
大きなトラックと軽トラと、2台分の薪が使用場所のSMALL TOWN HOSTEL(スモールタウンホステル)へ運ばれてきました。薪割りをした倉庫とはそれほど離れてはいない場所です。SMALL TOWN HOSTELは函館の西部地区、大三坂という石畳の坂の中腹にあります。写真はゲストハウスと隣接する大三坂ビルヂング。ゲストハウス入り口はこの写真の手前(写っていない)になります。
トラックから薪を下ろし、建物の入り口付近へと運び、乾燥と保管のため薪を積み上げます。すでに昨年割った薪が薪の棚には積まれていて、積む場所が足りないとのことで、棚の前に本日割った薪を積みます。
ただ積んでは安定しないので、積む左右は井桁に薪を組み強度を持たせるようです。
なかなかセンスが必要な作業。ますの出る幕はなさそうです。ただまっすぐ井桁に積み重ねのではなく、上に行くにつれ内になるように重ねるようです。こうすることにより、内側に入れた薪が外へと力がかかるのを抑えるようです。よく考えられてますね。
薪ストーブ、最高
薪運びと薪積み作業を終え、SMALL TOWN HOSTELの中に入ると、素敵な薪ストーブ(暖炉というべきか?)には火が焚べられていました。
レンガと大谷石使いが素敵な薪ストーブ。
ここからはちょっとますのマニアックな主観をお伝えします。
奥に見える淡い緑色でブチ模様があるのが大谷石(おおやいし)。
ますが建築物を見て歩きたいと思いたった10年くらい前、建築家フランク・ロイド・ライトの手掛けた名建築が国内にあることを知り、池袋にある自由学園明日館を見学に行ったことがありました。
明日館は子供の教育の場ですが、日本の現代的な感覚とは違いシックで重厚感ある建築物。全然子供相手に子供だましとかしてない。大正10年の建物なので、その時代はそういう建築が当たり前だったのかもしれませんが、ただ古いのとは違う、重みがありました。重要文化財になるだけあります。
中でも、明日館の廊下や暖炉で使用されている味わい深い大谷石。それがまさかこのゲストハウスでも使われていたとは。
柔らかくて軽くて加工のしやすい石だけど、それを室名札にも使用していたりととにかくセンスがいい。室名札の写真取り忘れた…。また、別の機会に撮らせていただいてUPしたいと思います。
火を眺めながら
薪ストーブの上部のオーブンではスコーンが温められていました。炎って見てて飽きないですよね。
大きなちゃぶ台をみんなで囲み、火を眺め、自然と話も弾み和やかな時間が過ぎます。
SMALL TOWN HOSTELの蒲生さんがコーヒーを入れてくれ、オーブンからはスコーンの甘い香りが漂ってきます。
至福のひと時。スコーンはご近所(函館市元町29-16)にある『焼き菓子ホタル』のスコーン。
スコーンとコーヒーをいただきながらファイヤーピットの大石さんが木のこと、薪ストーブのことについて語って下さいました。
今日割った広葉樹は炊くと針葉樹よりもとても暖かく、全く違うんですって。薪ストーブも種類はいろいろあるけれど、暖かさを左右するのは薪。その木の持つ最高の状態で燃やしてあげたい。大石さんの木への愛情を感じました。
先進国である日本ですが、戦前は当たり前にどこの家庭も薪ストーブを使ってました。戦後、家を温める術は灯油ストーブ、エアコンへと変わってしまいました。そして日本は薪ストーブの後進国へ。私たちは便利さを追い求め、炎の与えてくれる安らぎや豊かさを失ってしまったのですね。
まとめ
確かに今日のように薪を割り、1~2年後の冬支度をするのは大変さもあるのでしょう。普段パソコンぱちぱち叩いてるくらいの軟弱者ますの腕にみるみる乳酸生成されてるのは感じてます。でも肩こりは確かにいつもの酷さはないような?
実際に薪割りをしてみてうまく薪が割れた時は快感でした。
ストレスや肩こりの解消にもなる。(慣れない姿勢、作業で軟弱者の私には筋肉痛がきましたが。)
薪ストーブの家に暮らしているわけではないので安易にオススメする立場にもないのですが、エアコン、パネルヒーター一辺倒な現代の住宅に、もっと薪ストーブは選択肢として上がってもいいのになと感じました。
そして今日割った薪達が来シーズンこのゲストハウスの薪ストーブで焚べられ、泊まったお客様達をほっこりと温め、今日の私たちのように会話を弾ませるのでしょうね。
火の力ってやっぱり偉大。
さ、今年は憧れの焚き火に挑戦するぞー!
イベントを主催したSMALL TOWN HOSTELについてはこちらのリンクより
どうぞ↓